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パレスチナ自治区 -ベツレヘム-

10月 26th, 2011

written by kuro

エルサレムから、アラブバス21番に乗りパレスチナ自治区であるベツレヘムへ。

詳しい移動の情報は、いつでもホームページの移動の内容からその国を選んで参照ください。

バスを降りると何人ものタクシードライバーが「目的地は歩くと遠い。」と嘘をついてくるが、実際には全て今日行ったところは簡単に歩いて行くことができた。

それに街の人々は、たいてい親切に道を教えてくれた。

街にはパレスチナの旗がなびいている。

ベツレヘム

パレスチナ自治区。

ご存知、ユダヤ人のイスラエルと国際問題になっている、もう一つの国であると主張しているアラブ人の自治区。

第一次世界大戦時に、イギリスは勝ち抜く為に、資金援助と引き換えにユダヤ人にユダヤ民族の建国を協力するという約束を宣言する。

勝利してパレスチナの委任統治を認められたイギリスは、世界各地からユダヤ人を移民させる。

実はユダヤ人と約束を宣言する2年前・・・。

イギリスは、パレスチナはアラブ人のものだと認める代わりに、戦争への軍事援助をお願いしていた。

大国イギリスの2枚舌によって、遠い昔にパレスチナに住んでいたユダヤ人がどんどん移民してくるようになり、アラブ人の国だと主張するパレスチナに住むアラブ人との間に争いができたのがその始まり。

争いを収集できなくなったイギリスは、国連の介入を求める。

国連はパレスチナはユダヤとアラブの2つの国として、領土は半分ずつに定める。

翌年、ユダヤはイスラエルの国を宣言。

国連採決を不服とするアラブ各国は、イスラエル建国宣言の同日にパレスチナに侵攻して中東戦争が始まる。

結局、豊富な資金を持つイスラエル側にはアメリカが味方をして、第一中東戦争では国連が定めたアラブ側の領土の半分を占領。

第4次中東戦争まで起こった争いだが、1993年に和平交渉が成立してアラブはユダヤとの共存の道を歩んで行こうとする。

アラブ人のパレスチナ自治へのスタートである。

しかし、和平の道は厳しく、豊富な資金で常任理事国であるアメリカという味方をつけているイスラエルは、パレスチナ自治区を監視、入植、攻撃。パレスチナも自爆テロ、弱い軍事力で応戦、と今日まで争いが絶えていないのが現状。

ここベツレヘム(パレスチナ自治区)での治安は落ち着いている。

おれらは、戦場カメラマンとか、ジャーナリストとかじゃないんで、危険な所には勿論行かないのでご安心を。

それにベツレヘムには、欧米の観光客も多い。

多くはツアー客で、ツアーバスごと団体さんで観光に来る。

その理由はここ、【聖誕教会】。

イエス・キリストが生まれた場所であるといわれている聖地だ。

12月25日にここで誕生したとされている。(聖書には記載されていない)

聖誕教会

昼過ぎにここに到着したおれらは、沢山の団体観光客と一緒になってしまい、イエスが生まれた場所とされる写真右下の教会の地下洞窟に行くまでに、30分以上も並ぶ羽目となった。

時間は選んで行ったほうがいいかもよ。

聖誕教会の近くには、【ミルク・グロット】と呼ばれる教会もある。

聖母マリアが、生まれたばかりのイエスと一緒に居る時に、天使からヨセフがお告げを受けた為、せかされたマリアが母乳を何滴が地面にこぼしたことによって赤かった地面がミルク色に染まったという伝説のある場所。

ミルク・グロット

聖誕教会で並ぶことに懲りたおれらは、中にはもう入らず・・・。

その後は、ベツレヘムの中心から離れた所に歩いていく。

見えて来たのは高くそびえる壁。

分離壁とか、フェンスと呼ばれるものだ。

これはパレスチナ人の自爆テロが多発していたことを口実に、イスラエルがパレスチナ自治区側の土地に強制的に造ったもの。

パレスチナ人は、許可を受けないと壁の外にはでることができない。

実際にパレスチナ人による自爆テロは、激減したらしいが、彼らは更に土地を失い自由もまた少し失ったことになる。

分離壁

ここはパレスチナ人の想いや、有名なアーティストの絵が壁に描かれていることでも有名な場所。

今回はアートとしてではなく、彼らの気持ちや、想いを少しでも感じることができるよう壁の周りを少しだけ歩き続けてみた。

分離壁

絵からは、イスラエルにパレスチナから出て行ってほしいという攻撃的な感情のものは少なく、ただ平和にパレスチナで暮らしたいというニュアンスのものがほとんどだった。

壁の近く、鉄条網の隣で元気に遊ぶ子供達。

公園

10歳にも満たない子供達だから、物心つく頃にはこの壁が普通にここに存在していたのだろう。

見慣れた景色の中で、遊びに夢中だった。

想いは壁にひたすら描かれている。

分離壁

おれらも20分ぐらい歩いてみたが、何も描かれていない壁なんてどこにもなかった。

どこまでも続いている壁。

分離壁

今でも壁の建設は続いている。

はっきりと住む世界を区分けして、人々が関わらないように。

そう思っているのは、イスラエル側の人がほとんどなんだろうけど。

まあ、今となればパレスチナの人々も争うよりかは、分離壁があるほうがいいと思っている人も中にはいるのかもしれない。

でも、心の奥底では人間として、これが最良の選択ではないと十分理解しているような気もした。

分離壁

【平和な地球?】

分離壁

【平和 愛 & 壁?】

【この壁は、崩れるだろう】

見識も浅い単なる一旅行者だが、実際に歩いてみて、やっぱりこの壁には違和感を感じてしまった。

ちなみに、近年パレスチナを国として承認する国が増加しているが

今日現在、日本は承認していない。

今も、過去も、大国の思惑によって、世界は動いているという悲しい現実。

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