SOWET & アパルトヘイトミュージアム -ヨハネスブルグ-

written by kuro

AM10:00にツアー開始のはずだが・・・

30分以上待っても、ツアーガイドが迎えに来ない。

「これが、アフリカンタイムだっ!」

と、宿のスタッフが笑顔で話す。

悪いけど、俺はあんまり好きじゃない。

・・・

南アフリカに未だに残る暗い影、アパルトヘイト問題。

もう少し知る事ができたらと思い、この日もツアーに参加した。

Apartheid Museum & Soweto Tour 1人490ランド(5390円)

当初はアパルトヘイトミュージアムだけでもいいと考えていたのだが、それほど変わらない料金で、SOWETOのタウンシップ、ヘクターピーターソンミュージアム、マンデラハウスにも行けると聞いたので決定した、1日がかりのツアー。

ツアーは笑顔が素敵なノルウェー人のカップルと、俺ら2人とガイドだけ。

まずは、行きたかったアパルトヘイトミュージアム(APARTHEID MUSEUM)へ。

アパルトヘイトミュージアム

いきなり、手渡された入場チケット。

2種類の異なるチケット。

俺の手元には、WHITES(白人用)

カヨの手元には、NON-WHITES(白人でない人用)

普通に肌の色を見れば逆に手渡されたはずだが・・・。(これはただの冗談)

このチケットには、大きな意味がある。

人種差別

WHITESと、NON-WHITES で入場できるゲートが違うのだ。

大切な人が差別される事、大切な家族、友人であっても、肌の色によって区別され、肌の色によって引き離されていた事実。

そんな悲しい歴史を、少しでも体験してほしいという試み。

専用の入口

最初から俺らも一瞬、戸惑いためらってしまう。

アパルトヘイトミュージアムをずっと別々に、見学しなければならないのかと・・・。

仕方なくゲートに入って行くと、中でもずっと柵によって区切られている。

白人から見る、白人でない人用の小さな入口の表示。

白人でない人から見る、白人だけが使用できる椅子。

見る事ができる展示も、それぞれ異なる。

別の道へ

疑似体験の効果は、絶大だった。

このまま合流できないのではと、寂しく感じ始めた2人。

5分も歩けば建物の外に出る事ができて合流できたのだが、それも分からせない造りになっている。

当時は、この区別に終わりが見える事はなく、引き離されたままの日常がひたすら流れて行ったという事。

どんな関係であっても、どんなに心を通わせていたとしても、法律で肌の色によって待遇が変わっていった現実。

すごく悲しい事だと改めて実感した。

続いては、このパネル。

共に歩んで来た道

ゴールドラッシュに沸くヨハネスブルグを、何世代も色々な人種がミックスして 共に歩いてきたという歴史を現しているパネル。

共に歩んで来たはずなのに、アパルトヘイト(人種隔離政策)・・・。

この先に、メインのアパルトヘイトの展示がされている建物、絶大な人気を誇るネルソン・マンデラさんの展示スペースがあった。

ネルソン・マンダラさんとは、反アパルトヘイト運動の英雄で、反逆罪として27年も刑務所に収容されるが、釈放後にアパルトヘイト撤廃へと導き、1994年に大統領になった人物。ノーベル平和賞などの数多くの平和に関する賞も授与されている。

展示は、移民の歴史から、イギリス人が黒人の権利を奪い金鉱を手中にし、アパルトヘイトにより鉱山労働を酷使され始め。

アフリカ人居住区だったソフィアタウンは取り壊され、SOWETO(ソウェット)に約6万人が強制移住させられる。

白人居住区は優遇され、有色人種は不満が高まっていく。

遂に1976年、学生を中心とした暴動(ソウェット蜂起)が起こり、多くの学生が命を落とす。

暴動により国内外で問題視する声が高まり、様々な反対運動を引き起こりようやく1993年にアパルトヘイト(人種隔離)は、全面撤廃される。

ここの展示を見ていると、当時の黒人を中心とした有色人種が、どれほどの仕打ちを受け、明らかに人間扱いをされていなかった事実が、嫌というほどに良く分かる。

有色人種だけが、24時間携帯しなければならない肌の色で分けられた身分証。

ほとんどの黒人少年の刑務所入り初経験は、この身分証の不携帯違反。

そして、刑務所で鎖に繋がれたり、叩かれたり・・・。

ミュージアム内で黒人の女の子の集団が、すごく悲しそうに展示を見つめていたのが、印象的だった。

アパルトヘイトミュージアムから見える、ヨハネスブルグのダウンタウン。

ヨハネスブルグのダウンタウン

アパルトヘイトの撤廃により、移動制限が無くなった有色人種は、白人の住む居住区に職を求めて移住したが、彼らのほとんどは職を得る事はできなかったという。

その一部の失業者により危険な犯罪が増加し、近年も変わる事のない世界一の危険都市とまで言われる場所が、誕生してしまう事となる。

悲しい人種差別のせいで、必然的に生み出されてしまった危険な犯罪地帯。

生きる為に、居場所を守る為に現代の悪となってしまった彼ら。

本当に大きな過ちを犯してしまったのは、一体誰だったのか?

世界中に今も残る、過去の歴史の爪痕。

過去に過ちを残した人々の子孫は、今は時代が違うと笑って暮らす。

悲しい歴史に振り回された人々の子孫は、まだ打破できずに苦しんでいる事が多い。

他人事ではないと、考えさせられる。

何かが変わるかもしれないと、南アフリカに住む人々が心から期待したサッカーワールドカップ。

南アフリカサッカーワールドカップ

恩恵を受けた人はわずかで、失業者の数は変わらなかった。ワールドカップが終わり、失業者はむしろ増加したのではないかとガイドが言っていた。

黒人の学生が中心となって起こった暴動(ソウェット蜂起)。

授業でアフリカーンス語(オランダ語から派生した白人の言葉)を導入されたことに、抗議して広がった暴動。

警官隊は、発砲して鎮圧した。

その最初の犠牲者となったヘクターピーターソンを称えるソウェット初のミュージアム。

HECTOR PIETERSON MUSEUM

ヘクターピーターソン

暴動と、鎮圧する警官隊の写真などが展示されている。

世界中にアパルトヘイトへの疑問を投げかけた有名な写真。

ヘクターピーターソン

ヘクターピーターソン(当時13歳)が、発砲され最初の犠牲者となった。

他の少年に運ばれるヘクターピーターソンと、一緒に走る当時17歳のお姉さん。

世界中の怒りを買った、警官隊による暴力のシンボルとなった写真。

知れば知るほどアパルトヘイト政策が、いかに自分勝手で悲しい法律だったかが少しは分かってきた。

心中を察してか、外は黒い雲に覆われ雨が降り始めて来た。

ツアーは続き、SOWETOのタウンシップ(旧有色人種居住区)を見て回る。

車で向かう途中、合計で4回も車の事故を目撃した。

飲酒運転が多いらしく、運転手の言い訳は「公共機関が発達してないからだ。」と決まり文句になっているらしい。

飲酒運転には、俺らもノルウェーのカップルも断固反対だった。

雨足の強くなる中、あまり降りる事はなく車で周ったタウンシップ。

ヨハネスブルグのタウンシップも、ケープタウンと同じように所得によって、大きな格差が生まれていた。

タウンシップ

ここでも多くの住人は、トタンの家に住んでいる。

低所得者のエリアで、現地の住人が説明をしてくれたのだが、残念なことに大した説明もせずに寄付ばかりを求めてくるものだった。

比べるのもおかしいが、タウンシップに暮らす住人による案内の質はケープタウンの方が良いような気がした。

ソウェットのタウンシップ

結局、朝の10時半から、夜の8時までかかったツアー。

宿に戻った時には、ちょっと疲れてしまっていた。

今も残るアパルトヘイト問題。

その現実がまだタウンシップに残されている。

南アフリカ最大のタウンシップと呼ばれる、【 SOWETO 】。

その地名の由来は、South Western Townships なのだが、

そこの住民の多くは、こう呼んでいる。

So Where To(それで、どこへ) ??

Category: 35.南アフリカ Comment »

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